人物写真の(いや、ジャンルに限らず総じて、、かもしれないけど)上達の最短距離は、撮影した写真が否定されることだと思います。
否定されること。
ご気分を害した場合は謝りますm(_ _)m
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楽しく写真を撮ること、それも否定しません。
ただひたすら何かしらの目的のために、上達を必要としている方で、かつうずらフォトに参加していただいている方に向けて書きます。
ですので、開催中の雰囲気、ニュアンスなどを多分に含みます。
話を戻します。
写真上達の近道は、自分の写真を否定されること。
体験談です。
僕は幸い先輩に恵まれ、仕事でなくとも自身の写真について意見をもらえる環境がありました。
また仕事にあっては当然指示が入りますし、出来栄えが悪いと次回呼ばれることはありません。
写真教室はどうか。
これもどうしても接客要素が加味されるため、講師業は「褒める」スキルの如何が、その教室の繁盛かどうかを左右するといっても良いと思います。
あれこれと言葉を尽くして、気分を害さぬよう、しかしながら本質を届けられるよう苦慮するのが講師業の難しいところだと思います。
先日、MGRA写真教室の企画 今井ヒロキ先生による講座にうずらフォトとして出演いたしました。
この今井ヒロキ先生は、わりかし本音を盛り込むタイプ。
柔らかな物腰ながら、言うところは突く。
写真講座マニア的にはこの辺がポイントです。
つまり「写真を否定」してくれます。
教室側としてはメリットを感じられないと思います。(一般論的に)
むしろ、低姿勢で事なかれに物事を運ぶことがある意味で動員効果をもたらすと思います。
ただ、もう写真教室そのものも数が増え、細分化の一途をたどりました。目新しいものではなくなりました。
それどころか、撮影会ファンやカメラマン同士でのワークショップがひらかれることも珍しくありません。
このシーンの流れ、変化をどう捉えるか、経営手腕のみせどころではありますが、やはり人と人。
その部分であるために、デメリットが満載であっても、真実を届けるということは真心であり、その人をさらに上へと歩ませるための必要不可欠の燃料になっていくと思います。
テクニックの優劣は、個人的には後からでも間に合うものであり、写真活動に際して必要なコミュニティを形成することのほうが重要な気がします。
※否定を共有できるコミュニティなら最高でしょうか(^^)
真心で付き合い、真心で返す。
これは僕としても同じ心情であり、写真を追求する人には業務を忘れ応対を惜しみません。
事実、DMをはじめ各種メッセンジャーでは写真論を日々交わしています。
これは以前にも書いた、写真講座への参加の仕方、、にも通じる部分でありますが、ともかく否定を得られる環境、知人は一人でも多く得ることが大切だと考えます。
講座であった今井ヒロキ先生の言葉「家族、特に恋人や妻。これらに堂々と見せられる写真かどうか。」というのは真理。
僕もここ十年ほどは、女性を中心に生活がまわっています。
考え方しかり、女性的な感性を強く必要とするシーンの連続。そこで研ぎ澄まされるものは無駄ではありません。
今後もイマイ先生の教室は続いていくと思いますが、どこかでテーマが合致した際、一度覗いてみられることをオススメします。
そして本年のぶつかり稽古を行ってみてください。
きっと何かを得られると思います。
と、ここまでかっこいい展開が続きましたが、うずらフォトもよろしくお願いいたします(笑)
http://photo.uzra.jp/schedule.php
夜間撮影、平凡な市街戦への原点回帰。
ここを強化します。
派手なロケ地での写真では得られない、ライバルに差をつける一枚を狙います。うずらフォトがうずらフォト足り得たのはこの手の開催も大きな一因。
正直なところ、背景紙企画でライティングと基礎技術を培ってチャレンジしていただけたらベストな仕上がり。
あ、また敷居をあげてしまいました(笑)
日本イチ、敷居の高い撮影会を目指しましょうか。冗談です。
ではでは、おしまい(´;ω;`)