あるアニメ映画鑑賞後の覚書

直接的なネタバレはありませんが、連想する可能性がありますため、鑑賞予定のある方はご注意くださいm(_ _)m[br-xxl]












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生み出すこと

クリエイターの寿命について考えた。
ゼロからモノを生み出すには相当なパワーが必要で、それにはやはり若さも重要な要素になってくる。
荒削りながら生まれたゼロ地点を整えていく楽しさがある。

ゴールにたどり着くためには、まず生み出さないといけない。そう思った。[br-xxl]

定番と呼ばれるパターンを築くこと

生み出したものを研ぎ澄ませていくための手法、そこに定番というものが生まれていく。

真理であり、好みであり、さまよった際に立ち返る地点を持つことで、冒険も可能になる。

型をつくってこそ、型を破ることが可能になる。[br-xxl]

角と丸み

齢を重ねることで技のキレはあがるが、痛みを覚えたり悲しさを得たりして思想が丸くなる。この結果、効果的な脱力が施され、深みを得ることがあるように思う。円熟と呼ばれるのはこの効果なのかも知れない。[br-xxl]

決着をつけること

自ら作り出したゼロ地点。それはいずれゴール地点にたどり着かなければならない。

決着。

その過程を第三者は物語として楽しむが、当の本人は我武者羅と奮闘の連続でしかない。ただ楽しむということには変わりない。[br-xxl]

比較するにはあまりにも規模が違い過ぎるため、厚顔無恥も甚だしいのだけど覚書と自戒もこめて、、

うずらフォトをゼロから立ち上げ、定番と呼ばれるものが何となくながら構築できた。それを理解してくれる仲間も出来、叩き台として許容してもらえる方にも出会えた。

そして一人の人間を撮り重ねることでしか得られないことに触れられた。その境地にはまだまだたどり着けないものの、技術一辺倒に陥ることもなく、また観念的になりすぎない絶妙な立ち位置で、良い意味でフラフラしていられる状態にある。

気がつけば、まだまだ序の口ながらも荒削り感から少し整い始めた感もする。

決着に向けて動き出した気がする。25年モノの物語は、ものすごいものを見せてくれた。その制作者本人に意見を求めても、おそらくは通過点に過ぎないくらいの話をされるような気がする。

引き続きコツコツ頑張るしかない、そう思った。

日常の技術的なインプットとは異なり、道標、羅針盤的な追い風を受けたインプットになった。やるしかない。もっと楽しもう![br-xxl]

劇中の様々なシーンで、うずらフォトにリンクする場面が多々あった。嬉しかった。
つい先日の企画で同じような構図を撮った、ハッとした。この偶然の一致は、創造活動としてのOKサインをもらったような気がして(楽天家)、とても嬉しかった。





余談として。

このアニメは、95年のテレビ放映開始前 専門誌での速報が行われてからの付き合い。寄ったり離れたり、付かず離れずと距離感はその時々で変化はあったものの、四半世紀とまとめたら凄みを感じた。他の方々同様に色々あった。それが触媒になったか、感じ取り方も随分変化したし、多分に影響も受けた。

初日に鑑賞する、それはマストだった。過去もそうだったから、重ねたかった。

鑑賞に際して意図的に写真は撮らなかった。日常的に写真をたくさん撮るようになったから、敢えてそうすることで、この一日を際立たせようと思った。と書けばそれっぽいが、実際のところはそんな余裕もなく夢中だったに過ぎない(苦笑)[br-xxl]

鑑賞後、三人で夜まで語り合った。話は尽きなかった。

おしまい。


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