
ちょっと面倒臭い記事が失礼いたします。
朝帰りの経験数、おそらく世間的な水準からみても人より多いと自負している僕ですが、みなさまと同様に冬の朝がもたらす美を知っている。
写真をやっているから日常の機微に気づける、と勘違いをしがちですが歳時記をはじめ日本は昔から多くの文献で美について、美を愛でることを多く重ねてきた。
単にいま僕が感じている美について、そのとりとめもない(せつなさに似た)ものは既に明文化され記号化されているものでしかない。
このことに別段悔しがるほどに僕はもう幼くはない。
美しい写真を撮りたいと思う。
だから美しい状況で撮影をしたいと考える。
この美しい状況という部分が味噌で、人それぞれに想像されるシーンは多様になるに違いない。
ある程度の年齢を重ねた人間がそれを撮影し、かつ、世間に写真を公開するわけだ。推敲はしなくては。
この種のナルシストテイストというか厨二病というか、美意識という言葉で実態をごまかしたエセ作家(笑)をやって楽しめています。
表現というものはあくまでも被写体側の産物であって、こちらは記録者。
その記録者側にも手法は多々あれど、モノを言うのは絵の中の被写体。
みたいなことを一晩中友人と語り合える(友人からすれば至極面倒で厄介に違いない)。
少し逸脱してしまった、思い出してみてください。
僕の場合。
例えばこの回とか。

ノリで決めた朝の撮影。本当に勢いで、「はあ?何いってんの?」って返答すら格好が悪い、粋の世界。ノリの応酬、心地よいです。
http://kurumi0328.com/unique_from_tokyo/images/chichikaka/index.html
冬の朝。
読者のみなさんごとに、この冬の朝の美しい状況というものが、いまこの瞬間広がっていると思うだけでも、ときめきが止まらない訳ですが。
単に朝(撮影会を)やる、夜やる、とかそんな簡単なものではなく、記号化された美のひとつである冬の朝だけど、その「状況」の中に身をおいて、作家になりきって1枚1枚シャッターをきる。
出演者もその気で立っている。
主催も現場も、ムードばっちり仕上がり上等。
そういう、ちょっと売れっ子作家になりきれる撮影をやってみませぬか?というのが例の開催。
朝が早いから集合が難しい。
これをどう解決させるか、いろいろクリアするための方法があります。どう朝を迎えるか、その朝が写真に表情をのっけるわけですから。
会社員じゃなくって作家になって考えようぜ、そんな12月の大人の嗜み。
そんなご提案、うずらフォトならではの硬派な写真にへばりついた企画のステマ記事、そんな具合でございます♡
あしからず。
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