ボツの話。

こちらの記事を書き始めるまでに、割りと長いめの記事をまるっと削除した。

 

本当は「監督」について書いていた。映像現場の監督。

だけどボツにした。

あれやこれや話があちこちに向かって、一向に収束しそうになかったからだ。内容もさして興味深いものでもないし、素人が想像を交えて書いた程度のものであったのでボツにした。

 

 

このボツという行為も実はすごく大事だと思っていて、何かをこしらえる際にボツにするってアクションができる・できないが肝。そう思っている。

 

写真でもそうだと思う。

単に自信がないから、とかその類の話ではない。

 

今日も2枚ほど、丹精込めて作った写真をボツにした。

理由、被写体の顔が全然ダメだったから。

 

初回のセレクト時にはよく見えた。

この「よく見えた」というのがなかなかの曲者。

 

僕は出来る限り写真セレクトは撮影当日に完了させる。

ただ、この撮影時の熱帯びた感情というか感覚がセレクトを誤らせることがある。

 

全体で見ると良い塩梅に見える、光もすごく良いし雰囲気もバッチリだ。カメラマンやってて良かったー!なんて思える瞬間のひとつでもあるのだが、カメラマン側の一方的な視力になってしまうことがある。

 

現像、そしてレタッチ作業も終わり、どう配置して、どうリリースしようか思案の最終段階あたり。ふと気づく。

「あれ、この顔はあんまし良くない」

一度気づいてしまうと、どうしてもダメで。

 

わりかし面倒な処理もいくつか超えて、ノリノリでやってきたその時間を無為にするのも躊躇し、、、どうにか誤魔化せないか、、なんて悪魔が囁いたりもするわけだが。

 

公開される被写体側にとっちゃ、この一連の葛藤については別問題だ。そりゃそうだ。

 

良い表情、瞬間、良い結果をもたらす写真を提供することで培われてきた信頼関係を壊すわけにはいかない。

で、ボツになる。

 

 

 

 

 

転んでも泣かない。
※良くない顔をUPされる側のほうが泣きたくなる!

次の撮影や、編集時のノウハウとして活きてくるから無問題。

 

 

 

こうしてブログの記事にもなったので、むしろプラスといえる。

 

そういう訳で、僕のセレクト作業というのはこういう基準で回ってます。異論は多々あることと思います。その手のお話はまた勇者の会にて。

 

 

 

ボツ記事に貼られていた一枚はこちら。

朝方の横浜・中華街にて。

 

まるっと書き換えられたブログのタイトルは「監督は眠らない」(笑)いつか機会があれば、どこかでお話させてください。

 

 

おしまい。

 

 


うずら音声通信 最新エピソード

    Xでフォローしよう