先月、全国的にも話題となったある映画を劇場で鑑賞してきました。
大好きな監督の関わった最新作ということもあり、ワクワクしながら初日に鑑賞。
前日まで、どのようなアングルが、アイデアが、目が覚めるような発想が!という期待に胸を膨らませました。
自分が何を求めているかを再確認
そして当日。割りと早めな上映回を選んで鑑賞。
鑑賞後、「なんとも言えないかも」という結果。
その理由は、
- 何を見せられているんだろうと途中で冷静になった
- 没入感が欲しかった
- ドラマ、鑑賞者と共に高まるカタルシスが欲しかった
- 作品が伝えたかったメッセージは何だったのか
このような感想を得ました。
ネットなどでは、その映画のモチーフや元ネタなどで盛り上がるところもあり、それはそれで楽しい部分ではありましたが、個人的には「本編が良くてこそ」という気持ちがありますから素直に賛同し辛い部分もありました。
客観性と自己愛のバランス
これは自分が写真をはじめ、創作活動において重要視している要素だと再確認しました。
こと写真、カメラにおいては「画質」に関する内容が話題にあがることが多々でありますが、ではその素晴らしい画質をもってして作られた写真は、
- 何を見せたかったのか
- 没入感はあるか
- カタルシスはあるか
- メッセージは
という評価基準で見てしまいます。
「画質」という部分は、写真がカタルシスを感じる良い内容だからこそ、相乗効果をあげるものではないでしょうか。
[amazonjs asin="4794970234" locale="JP" title="写真論"]写真にはカメラマンの人生が写っている
カメラマンとは何か、ということも考えます。ただ単に眼前の現象をありのままに写し取るのみでいいのか。
はたまた、その眼前の状況をカメラを利用して、撮影者の考えることを具現化する創作活動なのか。
いろいろな意見があると思いますが、個人としては後者的な要素がとても強いです。もちろん主題のパワーを感じるときは、撮る側の余計な演出が邪魔になることは理解しています。だから適切にケースバイケースで対応する柔軟さも必要と心得ています。
撮影会においても、
- 何を大事にしているのか
- そこで過ごす時間、没入感はあるか
- カタルシスはあるか
- メッセージは
という項目に真正面から受け止めて回答していかなくてはならないと考えています。
撮影会であっても、「写真」はあきらめない。
うずら音声通信をはじめたことで、写真に関する考えを人様にさらけ出す機会が増えました。好き嫌いもおありでしょうが、アウトプットの精度を高める良い機会ではありますし、写真というものへの思想を研ぎ澄ませるにも便利です。
撮影会活動を通じて、創作の趣味嗜好が似た同志と出会えることを楽しみに継続しているんだと改めて実感しました。
単に稼業として云々というわけではなく、本当の意味で愉しく、愉快に写真を追い込んでいく場でありたい、そう思いました。
今後も常連さんや、参加いただいた方々の写真を目にして、意見する機会も少なくないとは思います。接客的なスタンスで当たり障りのないような意見も立場上どうしても欠かせないのがリアルなところです。
しかし、たまに漏れてくる本音をぜひ楽しみにしていただき、より熱く切磋琢磨していくお供に居続けさせてもらえたら超絶嬉しく思います、願います。
おしまい(ヽ´ω`)♡