プラトー現象・効果という言葉を、つい先日知りました。
プラトー現象とは、学習や練習を続けているにもかかわらず、成長が止まってしまう現象や時期のことです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C
人物写真撮影においても、同様のことがあると思います。
撮影会の主催をやっていることで、多くのカメラマンさんと出会い
そして一定以上の深い部分でお付き合いをさせていただけます。
撮影に関してカメラマンが抱える悩みや問題は様々ですが、ビギナー時期から中級機に差し掛かる前頃に、このプラトー現象というものにぶつかるケースを多く見てきました。
客観性とバランス
上達には客観性が欠かせません。
制作したかったものを明確に捉え、何が見どころであり、どう作り出せば効果的に伝達が可能か。
そういう類のことを考えるには、自意識のみでは厳しいため、どうしても客観性が必要となります。
この客観性の度合い?具合によって、成長の速度・深さが大きく変化しているような気がします。
道具の操作だけで完結している人がいる
カメラを手にしたばかりの頃は、基本的に撮影技術・機材運用のあまり感性を必要としない部類のオペレーター的な段階での成長が続きます。
そのため明確に技術習得を実感でき、カメラ、レンズ、照明といった機材ごとに習熟していき、結果としての写真も見栄えが良くなるため、心地よい成長を実感できて楽しい時期を過ごすことができます。
おそらくこれが永遠に続けば最高なのですが、機材の扱いや操作についてのみで写真は完結してくれません。
感性、審美は独善的ではいけない
どちらかと言えば、ここまでの機材の扱いについては入門的なものであり、これを経た後にいよいよ感性や審美といった具体的に目に見えない階段を登ることになります。
ここでの挫折が多い気がします。
これまでの機材操作的なステージでの成功体験が忘れられない人ほど、ジレンマは続きます。
カメラをはじめる以前から、画や映像に関しての美について思うところや考える癖のあった人は、楽しみながらも前進しているような印象があります。
うずらフォトの撮影会では、自分がそうであったように「実践して気づく」ことしか上達の道はないと考えています。スランプ状態であったとしても、写真を撮り重ねることで、解法に気づき、それを実践して問題を突破していく。このことで得られる筋力、これがすべてを牽引していくものだと考えます。
反復から沸き起こる「気づき」の頻度をあげよう
だから反復を重視するし、企画についてもテーマをもうけて、一般的な発想のその先、「もっと良いものがあるはずだ」という貪欲さをベースに進行します。汎用的なアイデアを否定はしませんが、やはり人それぞれに人生が異なり、考え方や美しさに対しての縦・横の感覚が違う以上、それを加えた表現をおこなってもらいたいと思っています。
とても難しいことかも知れませんが、それが楽しいことであり、また喜びであると信じてやまないので、うずらフォトは今後も反復練習と、背伸びした欲しがり体質で進んで行きたいと思います。
スランプな方こそ、遊びに来て欲しい。そう思います。